月山日和城

宮崎県都城市高城町大井手にある月山日和城。高城とも呼ばれる。
元は三俣院の院庁だったといい、文保二年に肝付兼重がここへ拠った。
南北朝の争乱期、南朝方に属して畠山直顕と戦ったが落城。兼重は江田式部少輔家定が身代わりとなったおかげで肝付の高山へ撤退した。

その後畠山直顕が入ったが延文三年に菊池武光に攻められ畠山が撤退し、のち和田氏が入る。

明応四年には伊東氏の城となって八代長門守が城代となる。のち島津氏と伊東氏の戦いの舞台となってなかなか落城しなかったが、八代長門守が戦死し、天文三年代わりに入った落合刑部少輔の時に北郷忠相によって落城する。
その後は本郷氏の城となり、豊臣秀吉の時代に伊集院氏が城主となって元和元年の一国一城令で廃城。

昭和十年には陸軍の演習行われ、野外統監部がおかれ昭和天皇が来訪。

城は八区画からなり、現在は曲輪の一つに模擬天守の立つ資料館が置かれている。
その他肝付兼重の顕彰碑もある。

展望台から見下ろす。

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