カテゴリー: 遺跡・古墳

三内丸山遺跡

青森県青森市三内丸山にある三内丸山遺跡

国特別史跡指定。
縄文時代。紀元前五千五百年から四千年前頃の遺跡。
日本よりもはるかに古い時代且つ、建物や墓遺構が残っている。
いくつかの建物は復元されており、三層の大型掘建柱建物等で知られる。

現地は観光地化され、博物館や広い駐車場の設置、遺跡内は遊歩道や保存施設が立ち並ぶ。

道路跡の看板辺り。

南盛土
当時のゴミ捨て場。
焼けた土・炭や石器があり、長期間廃棄され続け盛土になった。

内部。
保存施設があり、内部断面を見ることができる。
飛び出た石があり、石器?

復元竪穴建物
縄文中期。紀元前三千年前ごろ。
樹皮・茅・土葺の三種類で復元

竪穴建物跡
紀元前三千五百。
柱穴がある。

大人の墓
土杭墓といい、道路の両脇に向かい合って設置されていた。

掘建柱建物
高床で復元。

北の谷
紀元前三千九百から三千三百ごろのゴミ捨て場。
動物・魚の帆ね、種子、漆器、木製品、編み物、寄生虫卵等が発見されたとの事。

大型竪穴建物
紀元前二千八百年頃のもの
復元。

内部。
広さがあり、看板曰く集会所か共同作業場

北盛土
紀元前三千年頃。
南と同様ゴミ捨て場。タイミングが悪かったかこちらは内部は覗けず。

子供の墓
棺に土器が使用され中に丸石がある物もあったという。

大型掘建柱建物
三層。屋根は諸説あるため復元は避けたとの事。
柱穴からクリの木柱が見つかり、紀元前二千六百頃という。

宮が尾古墳

香川県善通寺市善通寺町にある宮が尾古墳

34.206467, 133.768559に駐車場
国指定史跡有岡古墳群の構成史跡。
昭和四十一年、開墾作業中に偶然発見された。

公園化されており、二基の円墳がある。
二号墳は平成六年の整備時に追加で発見された。

副葬品は盗掘で失われたという。
ここの古墳の特筆すべきは、よこ横穴式石室内に壁画がある事。
馬・船・儀式を線刻で描いている。
実物は外から除くのみだが、復元模型が古墳の側に置いてるあるため、実際に壁画を確認することができる。

一号墳
石室は雨水が溜まるようになっていたため、保存整備が実施されたという。

石室。
壁画部分はあるが、遠目且つ暗いため良く見えない

石室復元模型。
壁画部分並びに全体が確認できる。

壁画。
人型や船は判りやすい。

二号墳
追加で発掘された。上部は失われている。
作られたのは一号墳と同時期。

王墓山古墳

香川県善通寺市善通寺町にある王墓山古墳

麓に駐車場がある。
国指定史跡有岡古墳群の一つ。
善通寺には四百を超える古墳群が存在し、この辺りには県下を代表する古墳が集まっている。

王墓山古墳は前方後円墳で有岡地区中心の丘陵。
昭和五十七年に調査され、横穴室石室から金銅製冠帽や銀象嵌の刀剣の副葬品が出た。
また石室は上部が失われていたそうが、昭和六十一年から平成三年の整備で復元された。

石室
後円部分側面にある。

富田茶臼山古墳・城跡

香川県さぬき市大川町富田中にある富田茶臼山古墳

東麓にみろく通池公園があり、そこから歩いて行ける。
駐車場もある。

古墳は五世紀前半に築造された前方後円墳。
県を代表する首長墓であり、西に倍塚が三基ある。

古墳が城に用いられる例は多く、ここも茶臼山城として使用された。
城主は寒川右馬充。寒川長俊の子で延徳から永正期の人物との事。

登り口。
上に神社があるため鳥居がついている。

途中の平坦地。
西岡の弥勒菩薩がある。

西岡の弥勒菩薩
市指定文化財。
凝灰岩製。鎌倉から南北朝期のもの。
かつて公園の場所にあった通池から発見され祀られたと云う。

後円部。
石祠の神社が建っている。

前方部
こちらにも登り口がある様だ。

雲部車塚古墳

兵庫県丹波篠山市細工所にある雲部車塚古墳

西の35.087253, 135.303459に看板。

水壕を巡らせた前方後円墳
南北に陪塚がある。
古墳時代中期のもので、明治期に調査が行われ竪穴式石槨より長持形石棺・刀・槍・冑が出たという。

また、宮内庁により雲部陵墓参考地とされている。
被葬者は不明ながら、丹波道主であるとも云われている。

丹波道主は崇神天皇代の四道将軍。
他の面々は吉備津彦・大彦・武渟川別。崇神天皇が日本の国土拡大のため各所へ遣わした将軍であり、丹波道主は丹波口を担当した。

北の陪塚

南の陪塚

有年原・田中遺跡

兵庫県赤穂市有年原にある有年原・田中遺跡

県指定文化財。
公園になっており、東に駐車場あり。
遺跡の期間は長く、弥生から室町期にかけてのものと云い、
公園整備されているのは円墳二基、祭祀土杭・木棺墓。

此処以外にも周囲には古墳や奈良飛鳥期の掘立柱建物跡があり、
かつては大規模な集落・都市だった様だ。

祭祀土杭
木棺墓群の隣。

木棺墓群
六基。板を埋め込んで固定させたもの。
向きが二種に異なっており、性別や出身地で分けられたとも。

1号墳
弥生時代後期。
周壕があり、器台・壺・高杯・木棺痕跡が出土したという
上半分には葺石、隅には造出もある。

1号墳上
埋葬の周辺に土器

2号墳
1号墳と同様、周壕・葺石。

茶すり山古墳

兵庫県朝来市和田山町筒江にある茶すり山古墳

国指定史跡。
35.308923, 134.861043
但馬における大王の墓という。
道沿いに巨大な古墳が見え、ガイダンス施設や山上までの道が整備されている。
古墳上には埋葬施設が二か所あり、第一埋葬施設にはガラス張りで副葬品の並びを見ることができる。
かつては葺石や埴輪もあった様で、展示用葺石跡や復元埴輪がある。

平成十三年・十四年・十七年に発掘調査が行われ、十六年に国指定という。

テラスの埴輪

葺石
テラスより上に葺石があっと云う。

山上部分

埋葬施設
周囲は埴輪に囲まれている

第一埋葬施設
剣・鏡等が見える。

新宮宮内遺跡

兵庫県たつの市新宮町新宮にある新宮宮内遺跡

国指定史跡
縄文時代後期の環濠集落。
住居や墓地といった居住地域を堀で取り囲んだもの。
墓地の一つ円形周溝墓は弥生時代中期で、戦死者らしき墓も発見された。
ほか、分銅型土製品が十四点と多数出土している。
奈良・平安期の遺構も発見されており、この場所は弥生期以降も引き続き使用されたと云う

訪れた当時、駐車場があるとは知らず電車で向かったが、遺跡北側に広い駐車場もある様だ。

円形周溝墓
かつては円錐台形だったそうだが削平された為、復元したものとの事

弥生戦死の墓
石鏃が撃ち込まれた遺体が発見された。
戦死者の墓

墳墓

北大溝
一番北にある溝で、遺跡内では最も大きいもの

土葺屋根竪穴住居
弥生中期

法華寺畑遺跡

鳥取県倉吉市国府にある法華寺畑遺跡

国指定史跡
昭和四十六年、道路工事の際に発見された遺跡。
使用期間は八世紀中期から十世紀頃。
法華寺畑の名前や、国府・国分寺が付近にあることから、伯耆国国分尼寺に推定される。
ただし、礎石建物が無く掘立柱建物で構成されており、官衙ではないかとも云われているため確定はしていない。

遺跡域は溝と塀で取り囲まれており、東西南北に門が存在。中央の建物から北に向けて建物群が連なる。
なお、西門の四脚門が復元されており、史跡入口もそこにある。

周囲の溝・柱跡

南門

南隅の建物
南西・南東側にそれぞれ建物あり

中心建物群
中央の建物から北に向けて三棟。
事務棟か倉庫と云う。

北門

西門
同時代の建物や絵巻等から参考にして復元された。

布勢古墳

鳥取県鳥取市布勢にある布勢古墳

山王日吉神社から道がついている国指定史跡の古墳。
推定六世紀頃の前方後円墳。
周囲の古墳群の中心的なもの。
発掘調査は行われておらず、埋葬施設は不明であるが、後円部は後世に穴が掘られていると云う。
北側に造出あり、周囲からは土器や埴輪片が見つかったとの事。

古墳上部

造出

山王日吉神社
古墳に向かう途中にある。
山名氏が布勢天神山城に入った際、近江坂本から勧請した。
布勢の山王さんと呼ばれ、小児の疳を治すと云う。

小日吉神社
天正八年、羽柴秀吉により日吉神社が焼き討ちされたが、
ご神体は難を逃れ元魚町日吉邸に祀られていた。
ご神体はその後、日吉神社へ戻ったが、日吉邸に分社が建てられ、のち現地へ移転した。