香川県さぬき市末にある霊芝寺
日内山霊芝寺
高野山真言宗。
本尊は十一面観世音菩薩。
高松藩松平氏菩提寺。
弘仁年間、弘法大師の創建。
かつては東林山遍照院日内山大岡寺と称した。
寛文五年、山城西明寺の恵忍と、高松藩主松平頼重が再興。
延宝四年、松平頼常が東林山霊芝寺と改め、本堂建立。
享和二年、松平頼儀が本堂再建。
明治二年、日内山へ改称。
昭和十三年、本堂再建。
法然寺と共に高松藩主の菩提寺であり、
こちらには水戸藩からの養子として入った二代・頼常、九代・頼怒の墓がある。
墓所は法然寺と同じく門前までだが、境内地図看板や説明看板が豊富。
山門
看板曰く雨瀧城の裏門の移築という。
本堂
鐘楼
看板曰く、梵鐘は松平頼常・頼豊が京の田中伊賀掾・藤原為秀氏に鋳造させたという。
黒門
墓所へ境内から松平氏墓所方面へ向かうところにある。
小さいながらも綺麗な高麗門。
高松藩主松平氏墓所。
国指定史跡。
参道に長い石段があり、入口に石碑と看板が建っている。
内部は法然寺と同様判らない。
二代・頼常、九代・頼怒が葬られている。
松平頼常は水戸藩二代・徳川光圀の子。
光圀の兄・頼重が病弱だったため水戸藩を継げず光圀が代わりに継ぐ。
よって頼重と光圀は互いの子を養子に出し合い、血筋を嫡子系に戻した。
頼重の養子として跡を継いだ頼常は学問に秀でていたという。
宝永元年没。
松平頼怒は水戸藩七代・徳川治紀の子。
松平頼儀の養子として高松藩を継いだ。
久米通賢は頼怒の代に抜擢され塩田開発を行った。
天保十三年没。
なお、頼怒の跡は頼儀の子・頼胤が継いだことで血筋が戻る。