大成寺、徳山毛利氏墓所

山口県周南市舞車町にある般若山大成寺

元々は富田にあった観音寺と云う寺院だった。
徳山初代の毛利就隆が延宝二年に妙心寺塔頭龍華院の笠印を招いて中興開山。以降徳山毛利氏の菩提寺となった。
寺から奥に進んだ34.050761, 131.814836に毛利氏墓所がある。



徳山毛利氏初代・毛利就隆の墓
屋根付き。中に石柱で囲まれた笠塔婆型墓石がある。
毛利輝元次男。
徳山藩祖毛利就隆夫婦の墓所として周南市指定文化財になっている。

徳山毛利氏二代・毛利元賢の墓
就隆の五男だが、兄三人の死去や四男元次が庶子のため家督を継ぐ。
しかし跡継ぎ無で死亡。結局兄に家督が行く。

徳山毛利氏三代・毛利元次の墓
就隆の四男。家を継いだ弟に子が居なかったため家督を継ぐ。
宗家である萩藩との争いである万役山事件によって改易されてしまう。元次は流罪となり、徳山に帰れないまま死去した。

徳山毛利氏四代・毛利元尭の墓
父の元次が改易されてしまったが、元堯が継ぐ事を許されて徳山藩が再興。
しかし、早死にしてしまった。

徳山毛利氏五代・毛利広豊の墓
元次の子で元堯の弟。兄が子がおらず死んだ為家督に。

徳山毛利氏六代・毛利広寛の墓
兄が早世によって世子となり、子がおらず死去したため弟の就馴が継ぐ

徳山毛利氏七代・毛利就馴の墓
広豊の子。兄広寛の死去で家督を継ぐ事に。
この代に藩校鳴鳳館を開校する。

徳山毛利氏八代・毛利元鎮の墓
安定した治世が続いた事で認められ、城主格となる。
子の一人・元徳は毛利宗家を継ぐ。

徳山毛利氏九代・毛利元蕃の墓
兄が六人もいたが早世や養子で家督が回ってくる。
幕末期の当主で、四境戦争や戊辰戦争で宗家を助ける。文武振興、産業興隆に勤め士民から敬愛される。のち祐綏神社へ秀就以来初で合祀された。

徳山毛利氏十代・毛利元功の墓
鳥羽伏見の後、イギリスへ留学。帰国後は子爵。

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