東光寺、毛利氏墓所

山口県萩市椿東にある護国山東光寺
萩時代の毛利宗家の菩提寺の一つ。
元禄四年、毛利吉就が慧極を開山として創建した黄檗宗の寺院。
伽藍の多くが国指定の文化財になっている。

総門
国指定重要文化財。
護国山の扁額は元禄六年の慧極によるもの。

三門
国指定重要文化財

鐘楼
国指定重要文化財。
元禄七年に毛利吉広が梵所を寄進。

大雄宝殿
国指定重要文化財。
元禄十一年に毛利吉広が建立した。

四大夫十一烈士の墓
蛤御門の変での責を負って自刃・処刑された人物の招魂墓。
明治二十二年、杉孫七郎や杉民治は各地に散在している墓が香花が絶え供養されていない事を嘆き、此処に招魂墓を建てた。

奥に益田右衛門介・福原越後・国司信濃・清水清太郎・周布政之助。さらに後ろに楫取道明もある。
両サイドにも並び、片方の列には渡辺内蔵太・山田亦介・竹内正兵衛・楢崎弥八郎・中村九郎・佐久間佐兵衛・松島剛蔵。もう片方には毛利登人、大和国之助、宍戸左馬之介、前田孫右衛門、桜井三十三、香川半介、冷泉五郎。

萩藩毛利氏墓所
吉就、吉元、重就、斉房、斉元の墓がある。
それぞれ石畳や鳥居、石灯篭が大量にある。

毛利氏十七代・毛利吉就の墓
東光寺を建立した代。

毛利氏十九代・毛利吉元の墓

毛利氏二十一代・毛利重就の墓
長府藩毛利匡広の子。
毛利宗広に跡継ぎが居なかったため養子になる。
三田尻の開発を行い、そちらにも墓がある。

毛利氏二十三代・毛利斉房の墓

毛利氏二十五代・毛利斉元の墓
毛利親著の子、祖父が毛利重就。
福原房純の養子になったが斉熙の養子に入った。

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