芸州口の戦い古戦場

山口県和木町と広島県竹原市を跨ぐ芸州口の戦い古戦場
34.205106, 132.216830和木町側の石碑
34.206814, 132.217239竹原市側の看板

慶応二年におきた四境戦争で、芸州口の開戦は広島藩・岩国藩の境となっている小瀬川を挟んで行われた。
六月十四日、両軍川を挟んで対陣する中、彦根藩の竹原七郎平が従者二名と共に使者として渡川しようとした。軍使とわかるよう赤い陣羽織に軍扇を開いて、封書を掲げた姿だった。
一方で反対の岩国側に居た品川清兵衛率いる戢翼団は敵が先陣を切ってわたって来たと思い銃撃し、七郎平らは戦死した。
是を機に両軍開戦し、結果は長州側の圧勝し彦根藩兵らは敗走した。のち大野で幕府軍も盛り返して激戦になるも、征伐するはずが防衛戦になってしまっている。

なお、七郎平の遺体は調べられ後から使者である事が判明。のち品川清兵衛によって遺品が回収され明治に遺族へ返還されたとの事。
ほか、清兵衛によって墓が建てられている。

竹原七郎徒渉地点の碑

小瀬川
広島・岩国の境であり、川のもたらす利益を巡って争いが起きた事もあった。

三秀神社記念碑
広島・岩国の小瀬川を巡る境争いは宝暦二年に死者を出す騒動に発展。
享和二年に双方が和解し国境を確定させた。
神社は騒動で犠牲になった野分新六・坂戸源右衛門・児玉治良兵衛を祀ったものと云う。

コメントを残す