新宮党館、尼子国久ら墓所

島根県安来市広瀬町富田にある新宮党館
35.367377, 133.193757に入り口

尼子経久の次男である尼子国久の一族の館。新宮谷に館を構えた為新宮党と呼ばれる。
三千騎を有し尼子氏の主力軍団として活躍。
天文十三年十一月一日、毛利元就が新宮党は毛利氏と通じていると流布し、これを信じた尼子晴久によって新宮党一族は殺害された。
国久は登城途中を襲撃され殺害、誠久は城下で殺害、敬久・常久・吉久は新宮党館へ籠って戦ったが自害。
二歳だった助四郎が難を逃れ、のち尼子勝久となって再登場する。

昭和五十四年に調査が行われ、礎石建物や溝が発見された。ほか陶磁器や将棋駒なども見つかった。

太夫神社
新宮党を祀った神社。

新宮党墓所
尼子国久・誠久・敬久の墓所と云う。
囲まれた区域に五輪塔四基。

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