津山城

岡山県津山市山下にある津山城

津山の観光中心地になっており石垣等整備されている。
備中櫓が復元されており見学可能。

嘉吉年間、山名教清が美作守護になると一族の山名忠政に命じて津山城を築城した。
文明年間に山名氏が撤退し廃城。

慶長八年、森忠政が美作の大名として入ると津山城が再度築城が開始され、元和二年に完成。
元禄十年、五代・森衆利の代に狂気を理由に改易。
森氏はその後、森長継が西江原藩として再興し、森長直の代に赤穂藩へ移り存続している。

元禄十一年、代わって入ったのは結城松平氏より直矩の子・松平宣富。
以降は代々松平氏で続き維新まで続く。

森忠政像
入口にある。

冠木門先の虎口

三の丸

表中門

鶴山館
津山藩の藩校。三の丸にある。
明治三年に着工し明治四年に完成。
当時は修道館と称した。同年の廃藩置県によって廃止。
しかし、学校の建物として以降使用され続け、明治三十四年に現地へ移築され鶴山館と改められた。

二の丸

切手門
弓櫓へ繋がる渡の櫓門と云う。

表鉄門

本丸

備中櫓
本丸にある復元櫓。
池田備中守長幸から名前が取られている。
森忠正の娘於松が長幸に嫁ぎ、長幸の津山城来訪を機に建てられたと云う。
内部は生活空間がある珍しい櫓。

内部

備中櫓下から。

五番門と土塀。
備中櫓北、天守台へ通じている。
塀が復元されている。

天守台
五層の天守。
明治七年から八年にかけて取り壊された。
昭和十一年、三分の二となって再建されたが、昭和二十年八月に空襲の標的にされる事を恐れて取り壊された。

天守台下。

備中櫓や塀を望む。

太鼓櫓跡
上に時の鐘。

津山城の現存門
大隅神社神門として移築。
修道館の表門として使用されていた。

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