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山口県萩市川島にある指月山善福寺
臨済宗南禅寺派。
永享年間、翔天源和尚の開山と云う。
石見安国寺から隠居して指月山麓に草庵を結んだのが始まり。
天文年間には大内義隆から寄進状があり、萩の地名はこの文書が初見と云う。
慶長九年に指月城が築城されるにあたり、現地に移転した。
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織部灯籠
笠部分を十字架に見立てキリシタン灯籠とも
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吉見広長の墓
石見吉見氏当主。
吉見広頼の子。吉見氏は毛利氏に従っていたが、不満を持ち出奔。
のち萩へ戻り許されたが、元和四年毛利輝元に疑われ討ちてが差し向けられて自害。
左の墓碑に覚樹院殿月庭清秋大居士があり、これが広長?
※看板曰く広長は覚林院殿月庭清秋大禅定門で大まかにあっている。
なお同墓にもう一人、大□院殿・・・大居士の銘あり。
右となりの墓碑は文字が読めず。
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墓地入口が虎口の様。