安養寺、土居氏の墓

愛媛県南宇和郡愛南町増田にある安養寺。

板尾津之輔の菩提寺
浄土宗

承和五年、真円空大和尚の開山。
応永二十三年に真宝寺末、真宝寺三代開基との事。
永正年間に火災にあったという。
元は安居寺とも称し、別の場所にあったそうだ。

この寺には板尾津之輔の位牌が発見された事で知られる。

津之輔は御荘殿勧修寺氏の寄騎。
土佐への国境最前線にある猿越城主。
諸国に聞こえた大剛の者として知られ、清良記でもその様子がうかがえる。

天正十一年に長宗我部氏との戦いで猿越城が落城、
津之輔も戦死したとも云うが、清良記では天正十五年時点で存命など、その後が曖昧だった。

そこに位牌および過去帳が発見される。内容は一本松町史にあり、
・過去帳
慶長年間 七月二四日 板尾津之輔
法名 光赫院顕誉義山大居士
・位牌
面:光赫院顕誉義山大居士
  宝樹院殿道誉妙村大姉
裏:慶長二年七月二四日寂
  初代 猿越城主 板尾津之輔
          仝 室
とされている。
天正よりももう少し長生きした様だ。ただし墓はいまだ発見されていない

また、同寺に二代広見城主板尾鶴之輔、という位牌もあり、
没年が慶長二年八月一日。
津之輔の死から僅か数日で跡を継いだ人間が死んでいる。何らかの騒動か。

増田はなとり踊りの碑
県指定無形文化財
寺には高山尊神が合祀され、この踊りの祭神という。

本堂
菊の紋がある。

土居氏の墓
場所は寺より少し南に離れた墓地にある。
具体的な場所は32.980861, 132.655333

この墓が一本松町史でもピックアップされているのは
室町時代末期のものである為。
現状では
「南無阿弥陀佛 為慈父 永正三・・・」と読める。
町史では永正三年十月、土居・・との事。

当時の土居氏が父のために建てた供養塔であり、増田において最も古い石造物の一つという。
増田には庄屋の土居氏が居ったと云い、また三間にはなるが南予には大森城等にも土居氏が居るなど、
それなりに名前が登場してくる一族。国向かいの土佐一条家にも居る。

また、永正年間に寺が焼けた事もあり、関係性など気になる所。
古記録は焼失したらしいので悔しい限り。

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