安楽寺、白木宇都宮氏墓、泉貨居士の墓ほか

愛媛県西予市野村町にある雲林山安楽寺。
曹洞宗。本尊は阿弥陀如来
永仁元年の開基。元は川西地区西の谷にあった。応永二十一年に現在地へ移転。
当時は医王山安楽寺で本尊は薬師如来だった。
元禄二年、薬師如来を禅堂へ移し、阿弥陀如来を本尊として雲林山と改める。
明治二十九年、火災により本堂再建。

寺には白木宇都宮氏墓、泉貨居士の墓などの墓がある。ほか、境内には大量の地蔵や伊達宗彰による泉貨居士の顕彰碑がある。

白木城主宇都宮氏の墓石。地蔵に混じって三つある五輪塔。
本堂右手にある堂の下にある。白木城主の宇都宮一族と伝わる墓石をここへ持ってきたものであると云う。
大泉寺の由緒に宇都宮乗綱の墓を安楽寺へ移したとあり、もしかするとこれが乗綱の墓なのか。

緒方惟照の墓
源平期に有名な緒方惟栄子孫。豊後栂牟礼城の佐伯惟教の孫。
佐伯惟教が大友氏と不和となり敵対する西園寺氏を頼って野村に居つく。その後、佐伯惟教と子の維真は許されて豊後に戻るが、惟照はそのまま野村に残り、野村殿宇都宮乗綱に属した。
天正十一年に長宗我部氏に白木城が攻められ宇都宮乗綱が城を出て仏門に入ってしまうと、惟照が指揮を引き継ぎ敵を撃退した。
天正十五年に戸田勝隆によって西園寺公広や抵抗した諸将が滅ぼされるも、惟照は帰農して生き延びた。

白木城祖碑供養塔
宇都宮・緒方両氏の供養塔。享保九年に緒方惟重が建立した。
左右の石灯篭には永禄や天正の年号と院号が刻まれている。

緒方惟貞の墓
乙亥相撲の創始者。
嘉永五年の火災によって多くの家屋が焼失した際、火災防止祈願の為に愛宕神社で百年間の願相撲を始めた。
これが乙亥相撲の始まりという。
明治三年の野村騒動では農民と役人の調停を行い、大事に至らずに収めた。
夫婦の墓があり、右が惟貞、左は妻の赤松近子。

緒方惟吉の墓
源治と称し野村組代官。
惟吉の子・惟真と共に身分制に疑問を感じ、文化十四年に藩庁へ差別撤廃を願い出る。
差別撤廃の先駆者。

泉貨居士の墓
泉貨居士と称した兵頭太郎左衛門の墓。土居一族の出身。元は西園寺氏の家臣であり、泉貨紙の発明者。
天正十五年に安楽寺あたりに泉貨庵を結び隠棲。この時、楮を原料とする強靭な和紙の開発に成功し、泉貨紙と呼ばれた。
墓が墓地の南端にある。33.373168, 132.650201
右は寛永三年で土居四良左衛門、左が慶長二年とあるので左が泉貨居士の墓。

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