大分県佐伯市にある佐伯城。
佐伯藩庁。鶴が飛来する地であったため、鶴屋城、鶴ヶ城、鶴城、鶴谷城とも呼ばれる。
麓の山城部分と山麓の居館部分に分かれる。
慶長六年に豊後日田より佐伯へ移った毛利高政によって築城された。
この毛利氏は元は森氏であり羽柴秀吉の家臣だったらしく、備中高松の時に人質として毛利輝元へ送られた。この時毛利輝元に気に入られ、毛利と森が似ているとして毛利姓を賜った。
此処は元々八幡山と呼ばれ、緒方惟栄が石清水八幡より勧請した神社のあった場所。
着工竣工には複数説があるらしい、慶長七~九、慶長九~十一。工事は危険で犠牲者が多く出たと云われる。
以降代々の居城となる。二代・高成までは山城部分に居館を置いたが、寛永十四年に三代・高尚が麓の三の丸に居館を移した。
その後山城部分は城番が置かれたり、年始などの行事で使われたりしたが荒廃し、六代・高慶の時に二十年ほどかけて修築されている。
その後、明治まで毛利氏が続いた。
現存建築物として、三の丸に櫓門が現存、さらに三の丸御殿が住吉神社へ移築して現存。
三の丸現存櫓門
内側から。
三の丸にあった佐伯文庫跡
八代毛利高標の時に藩校四教堂が創立され、天明元年に書庫である佐伯文庫が置かれた。
文政七年の高翰の代で二万巻が幕府へ献本される。
山城部分の石垣と堀切
石垣
二の丸
二の丸から西の丸への虎口
別の西の丸石段と虎口。
井戸跡と思ったが違うらしい
西の丸。
建物の跡?
本丸、天守があったようだが落雷で焼失したらしい?。
本丸下
北の丸虎口
北の丸
住吉御殿
三の丸にあった御殿の移築現存。住吉神社にある。
玄関・広間・書院の部分が残っている。
毛内家御居間。
明治の毛利高範の代、明治二十三年の建築で明治二十六年から明治四十年まで住んだ屋敷。
昭和初期には料亭になっていた。
現在は歴史資料館にあり保存・修復されている。