諫早陣屋

長崎県諫早市高城町にある諫早陣屋
諫早氏の陣屋。
高城に居た諫早直考が龍造寺家晴の跡を継ぎ、佐賀藩に組み込まれて諫早氏を名乗る。のち佐賀藩家老として一万余石を知行し大名クラスの家となる。

現在は諫早高校や諫早公園となっている。

御書院
陣屋建物は維新後も残り、大正十一年に諫早中学校となった際に御書院は壊されずに残った。
早朝に行ったが早すぎた
開門は十時だそうだ。

眼鏡橋
元々はもう少し南の場所に掛かっていた。
江戸時代、諫早は洪水に度々被害にあい、橋がその都度流されていた。
文化七年以降は三十年ほど橋が架けられず、不便だったため壊れない橋をと諫早茂洪の代に掛けられた。
天保九年から翌年まで工事し完成した。以降この橋は壊れずに現存し、昭和三十六年に現在地に移転。
国指定重要文化財。

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