武藤資頼の墓、少弐資能・経資の供養塔

福岡県太宰府市観世音寺にある少弐氏関係の墓石。
33.516765, 130.519468この辺りにある。
元々此処には安養院という寺院があり、武藤資頼の菩提寺だった。

武藤資頼の墓
少弐氏初代。
一の谷の戦いにおける平家方の降人から大宰少弐まで上り詰めた非凡な人。
教養があり、源頼家元服指南や奥州合戦で功を挙げ、鎮西奉行を経て大宰少弐となる。
慶応元年、資頼ゆかりの承天寺住職が墓石の下に台座を据えた。
安陽院殿覚仏大禅定門。

少弐資能の供養塔
少弐氏二代当主。元寇では現地での最高指揮官となり、弘安の役で傷を負い死去。
少弐氏関係の石塔とされ、横岳崇福寺で葬られた少弐資能と云われている

宝篋印塔で塔身が失われている。塔身には刻字があり、「正平二十二年」や「太宰少弐藤原朝臣」とあったそうで、南北朝時代に南朝方の少弐氏によって建てられた事が判り、当時この地にあって南朝方に属していた少弐頼澄による建立と考えられている。

少弐経資の供養塔。
少弐氏三代当主。
墓は不明のままだったが、平成三年に資能の隣へ新たに供養塔が建てられた。
裏面に大雲院殿浄恵大居士。

少弐資能顕彰碑
昭和五十六年に建てられた。

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