報恩寺、河野通生・近藤長門守の墓

愛媛県西条市丹原町高知にある大義山報恩寺。
文明十一年、河野通生が田畑山林を寄進し菩提寺として建立した。
開山は無際聖周禅師、本尊は阿弥陀如来で鎌倉時代の作。

本堂は延宝元年・宝暦二年・天保七年・昭和六十二年に再建。

河野通生の墓
通久の次男。宗家を継いだ兄の河野教通を支え、生涯無敗と云われた名将。
文正元年の安芸武田襲来時には子の勝生を遣わして撃退。
応仁の乱では大物浦で細川軍を撃破。
文明十一年、細川義春が伊予へ大挙して攻めてきた際は世田山城等で細川勢を撃退した。
なお、河野通直(牛福)は通生の血筋であると云う。
報恩寺殿貞厳忠大禅定門。五輪塔。

近藤長門守の墓
33.920916, 133.041704にある。寺北側の道から行ける。
雲祥院殿虎山玄龍大居士。
横山城主であり、石川虎竹の後見。天正十三年に天正の陣で戦死した。

此処の墓碑には近藤長門守重久とある。しかし近藤長門守を祀る近藤神社では近藤長門守尚盛。

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