土岐頼政の墓

愛媛県今治市大西町新町にある土岐氏の墓所。
34.064831, 132.932216にある。
土岐頼政の墓とも伝承され、入口の石碑で土岐山城守頼政とあり。

伊予と土岐氏は鎌倉時代から関り深く、光定・頼清・頼雄等も登場するほか、荏原の徳川城(尉ノ城)を拠点に伊予土岐氏が居た。

伊予土岐氏は系図によって流れが異なる。
土岐康行の系統で世保系の政頼の子が土岐頼政-頼高-政経
又は土岐政房の系統で、頼政-頼元と続き頼政-政経-頼久。

河野分限禄にも存在が確認でき、浮穴郡徳川城主で手勢五騎。
その後伊予土岐氏は荏原から離れて大西町へ移っており、紺原に館を構えたそうだ。
なお、大西町誌では頼政は毛利氏よる上月城尼子攻めの河野氏援軍に属して戦い戦死した

政経以降は今治へ来た藤堂高虎へ仕官して今治藩士となった。
その他、政経の代に紺原へ円浄寺を建立。のち文禄三年に死去している。文禄の役の年であり、政経は戦死した可能性もある。

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