一柳氏墓所(小松藩主)

愛媛県西条市小松町新屋敷にある小松藩主一柳氏墓所。
菩提寺は仏心寺だが墓所は少し離れた場所にある。

一柳氏は河野氏出身とも云う。
寛永十三年、一柳直盛の代に伊勢神戸より先祖所縁の伊予へ移封となるが、道中の大阪で死去。遺領六万八千六百石は三人の子らで分割することに。
結果、直重が西条(のち改易)、直家が川之江(のち播磨小野へ) 、直頼が小松、。小松へ入った直頼の系統はそのまま一家支配で幕末まで続いた。

墓所は三か所に分かれる。
・初代・一柳直頼の遠見山墓所(入口33.887906, 133.114072)
・七代・一柳頼親の臼谷墓所(入口33.888072, 133.113840)
・それ以外、二代~六代、八代~十代の墓所。(入口33.889262, 133.111649、位置は此処33.889197, 133.112917)

一柳氏の墓所は近世大名の中でもかなり特徴的。
・墓石の前に石畳が敷いてあるもの(初代・直頼夫婦、二代・直治、七代・頼親、八代・頼紹夫婦、十代・紹念)
・小野藩など兄の系統に憚り大居士を用いず居士としたもの。(三代・四代)
・背後に方形・円柱型物を置いたもの(初代・二代・十代が円柱、七代・八代夫婦が方形型。現地で聞いた所、中に遺品が納めてあり、過去に盗掘された事もあったとの事)

初代直頼墓所入口。
遠見山墓地
33.887906, 133.114072。小さな石碑が目印。

初代・一柳直頼の墓
塀で囲まれ石畳は二段。

直頼室の墓
小出氏。構成は直頼と同じ。

七代頼親墓所入口
臼谷墓地。
33.888072, 133.113840。こちらも入口に小さな石碑あり。

七代・一柳頼親の墓
こちらも二段の石畳。母は同族小野藩一柳氏。
近藤篤山を迎え、藩校養正館を開いた代。
側には夫人の墓も。

遠見山墓地・臼谷墓地とその他墓所の間
南側に石碑もあり、墓所間を行き来する道が付いている。
北33.888548, 133.112724
南33.888100, 133.112914
一応墓所へは33.889262, 133.111649からも行ける。

近づくと藩主墓所の看板も。

二代・一柳直治の墓
こちらも石畳二段構え。
背後には円柱物もある。

三代・一柳頼徳の墓
頼徳よりも、一柳直卿の名前の方が知られている。
すぐれた能書家であり、寺院扁額などで至る所で名を見かける。
河野氏子孫のためか越智宿禰。
そして戒名が居士

四代・一柳頼邦の墓
こちらも越智宿禰、戒名が居士。
享保の大飢饉において素早い対応で被害を最小限に抑えた。

五代・一柳頼寿の墓
大谷池築造した代と云う。
頼寿は大居士。

六代・一柳頼欽の墓
竹鼻正脩が登用された代。
頼欽も大居士。

八代・一柳頼紹
石畳と背後の方形物が復活。
恭靖軒。戊辰戦争が起こる。

頼紹室墓
構成は頼紹と同じだが、こちらは背後の物がコンクリで固められていない。

九代・一柳頼明の墓
藩主としては最後。

十代・一柳紹念の墓
正三位。背後と石畳も小さいながら備えている。

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