中村御所

高知県四万十市中村本町にある中村御所
32.993530, 132.934283にある、現在は一條神社

応仁二年、一条教房が戦乱を避けて土佐中村へ下向。
森山と呼ばれる丘陵に居館を設けて代々使用した。
土佐一条氏は房家の代に最盛期を迎えたが、兼定・内政二代続けて長宗我部氏によって追放。
政親の代には自然消滅し滅亡してしまった。

現地看板では推定復元図があり、
森山を堀で囲み、
南西側に御殿、南東側に政所があった様だ。
また、地名として大路・少路があるのは公家出身である為か。
その他、周辺(中村城東麓)辺りには戦国時代~幕末までの土居・邸宅跡の石碑がある。

一條神社
一条兼良、一条教房~内政の歴代を祀る。
文明十二年、此処に一条氏の御廟所として祀られていたもの。
土佐一條家滅亡後の慶長十二年に、遺臣が祠を建てて祀っていた。
文久二年には土佐一条氏顕彰のため、社殿が造営。
なお現社殿は昭和十九年の物。
此処の例大祭は高知県三大祭りの一つと云う。

天神社
一條神社隣。
土佐一条氏が京都五条天神を市役所付近にあった天神山へ勧請。
昭和二十八年に現地へ移転したという。

西小路氏土居。
32.995412, 132.932605
土佐一条氏一門の屋敷跡。
土佐中村には同様な石碑が多い。
また、隣には中村目代屋敷跡碑も。

安岡良亮邸跡
32.995947, 132.932712
幕末の土佐藩士。
樋口真吉従い活動。維新後は熊本県令。
明治九年の神風連の乱で襲撃され死去。

中村山内氏土居
32.997454, 132.932863
慶長六年に山内康豊が二万石で中村へ入った際の居館地。
政豊の代に断絶したが、寛永七年に山内忠直が三万石で入った。
元禄二年、豊明の代に改易され、その後は幡多郡奉行所になった。

樋口真吉邸跡
32.994859, 132.932208
幕末に幡多勤王党を組織した樋口真吉の邸跡。
坂本龍馬や西郷隆盛とも面会していたと云う。

行余館
32.996727, 132.932789
安政二年に開設された土佐藩校の一つ。
当初は文武館・敬止館とも。

木戸明邸跡
32.996279, 132.932721。
游焉塾を開き、のち中学校の教職に就く等、教育発展に貢献と云う。

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