土佐山内氏墓所、松下氏墓所、織田信安墓

高知県高知市筆山町にある山内氏墓所等

33.553009, 133.536126のあたりに入り口がある。
向かいには山内氏菩提寺の眞如寺。
山内一豊が慶長十年に死去し筆山へ葬られた。
のち、四代・山内豊昌が先代・忠豊を葬る際に、歴代墓所として整備した。

山内氏墓所。
内部には入る事はできない。
ただし説明看板が建っており
山内一豊~十四代・豊惇、十六代・豊憲、十七代・豊景の墓域となるようだ。
一豊墓は無縫塔。

松下氏墓所。
山内墓所の少し西、筆山へ上がっていく道左手に手すり付きの階段奥にある。

松下氏はかつて豊臣秀吉が最初期に仕えていた。松下之綱の代に大名として出世。
松下重綱・長綱の代に数度転封を繰り返し、最終的に寛永五年に三春藩主となる。
しかし、正保元年に狂気を理由に松下長綱は改易。
妻の実家である土佐山内忠義へ預けられた。のち、寄合として旗本復帰がかなうが長子豊綱が死去したため、次男の長光が跡を継ぐ。
此処には長綱・長綱室・豊綱の墓がある

松下石見守長綱の墓
松下重綱の子。
月照院殿石州太守従五位下圓室宗大居士。
万治元年九月十日、四十八歳で死去。

長綱室の墓
山内忠義次女。
壽光院殿皓譽泰庵長清信女
貞享二年九月三日没。七十五歳。

松下豊綱の墓
長綱長子。
善法院殿覺峯俊正信士
明暦三年死去。

織田信安の墓
山内氏墓所参道途中から右手を見た辺りだったと思う
尾張岩倉城主。伊勢守。田敏信の子。
織田信長と争う。跡継ぎ問題で子の信賢に追放される。
家臣の山内盛豊の子・一豊が土佐の大名へ出世しており、是を頼って土佐へ赴き高岡郡戸波二百石与えられた。

なお、墓側の看板では信安ではなく子の信賢になっている。
旧看板・山内氏墓所入り口の看板では信安であり、正しいのはどっちだ。
とりあえず「土佐の墓」に従って信安のつもりでいる。

眞如寺
向かいにあり。
山内氏菩提寺。

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