小菅城

岡山県井原市西江原町にある小菅城

34.623344, 133.483004に入口。
看板が目印で車道も通っている。進んでいくと石碑のある広い場所に出ることができる。

城主は荏原那須氏。
那須与一宗隆が屋島の戦いで扇を射貫いた後、恩賞として幾つかの地頭職を得た。
備中荏原はその内の一つで、那須小太郎宗晴が送りこまれた。
宗晴は宗家那須氏四代・那須頼資とされ、三代・資之の跡を継ぐために荏原を離れ、子の朝資へ跡を譲った。

資料として初めで登場するのは建長三年の那須資泰による梵鐘寄進と云う。
以降、嘉慶元年に那須資道・資英が菩提寺の永祥寺を建立するなど、名前が数度文書に登場する。
戦国時代ごろまで文書に登場し、享禄四年に那須清資が永祥寺へ土地寄進、文禄三年に那須資清が筑前筥崎宮修理奉行等ある。

小菅城時代の築城は鎌倉時代の荏原那須氏初期と云う。
現地看板ではその後の顛末が書かれており、資泰の子・光隆の代に中堀城を築城したため、小菅城は廃された。のち、永享十年那須長隆の代に十蔵城を築いて移り、那須清資の代に毛利氏に属したが、関ケ原敗戦および防長移転に伴い帰農したと云う。

石碑のある場所。
此処まで車で来ることができる。

二の丸
袖神稲荷がある。永祥寺にもあるが元々は此処にあったとの事。
屋島で与一が扇を射落とす時に右袖を波打ち際に捨てた。是を同族が拾い稲荷に祈願。
扇を射貫くことに成功した為、是をご神体として小菅城内に祀ったものと云う。

本丸
二の丸・本丸には石碑あり。

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