本行寺、白石鍋島氏・龍造寺胤家墓など

佐賀県佐賀市西田代にある常住山本行寺
日蓮宗。

永正十五年、龍造寺胤家が建立した寺院。
胤家は太宰府から木彫毘沙門天立像を持参しており、市指定重文になっている。
境内には龍造寺胤家、白石鍋島氏墓所、成富茂安、江藤新平の墓がある。

龍造寺胤家の墓
龍造寺康家の子。
肥前千葉氏より胤の字を偏諱し胤家と称した。
明応七年、千葉胤繁が大内氏に攻撃され援軍を求めた為、胤家が向かったが敗れる。
のち太宰府の母方祖母の小鳥居信元の元に居た。

永正五年に佐賀へ戻り、大財端城に入ったと云う。
永正十五年に本行寺を建立しており、
享録四年四月二十七日に九十六歳で死去と云う。
常住院殿本行日圓大神儀

成富茂安の墓
成富甲斐守信種の子。兵庫。
龍造寺氏・鍋島氏の重臣として仕え、江戸時代に入ると佐賀における治水工事を行った。
此処にある墓は遺髪墓と云う。

江藤新平の墓
佐賀藩士。
明治新政府にも加わったが、西郷隆盛らと共に辞任。
明治七年、佐賀の乱を起こしたが敗れ処刑された。
墓は蓮成寺にあったと云うが、本行寺に改葬。
墓銘は福島種臣による書。

白石鍋島氏墓所
鍋島氏分家。
勝茂の子・鍋島直弘を初代とする分家。
胤家墓を求めて訪れたところ、白石鍋島氏の墓所があり驚いた。
直弘を初め歴代の墓がある

白石鍋島氏初代・鍋島直弘の墓
鍋島勝茂の四男。
盛徳院殿真日玄大居士
寛文元年七月七日没
三重石塔

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