打吹城

鳥取県倉吉市仲ノ町にある打吹城

山全体が公園化している。
東の歴史民俗資料館や陸上競技場の辺りに登山口あり。
各所に曲輪が残り、主郭と備前丸が整備され看板も付いている。
主郭周囲には石垣あり。側面に崩れた箇所らしき所もある。

延文年間、山名師義が築城し田内城から拠点を移した。
以降山名氏の拠点として使用されたが、大永四年の尼子経久による五月崩れで落城、但し異説あり。
その後は南条氏が復帰時に打吹城も管轄下に置いた。

慶長五年、中村一忠が米子へ移封になると、打吹城へは中村伊豆守栄忠が入った。
慶長十四年に中村一忠が死去し中村氏は無嗣断絶改易。のち一国一城令で打吹城も廃城に。
慶長十九年、里見忠義が倉吉へ転封されたが、元和八年に死去しこれも改易。

寛永九年、池田光仲が岡山から鳥取に移封すると、倉吉へは荒尾嵩就が入り、北麓部分に陣屋が置かれた。

北麓の陣屋部分

東麓の登山口と駐車場。

武者溜
大岩あり

堀切

石垣

主郭部

主郭にある石碑。
此処だけ少し高くなっている。

周辺には大岩が複数あり。
崩れた石垣か。

備前丸

麓周囲には土蔵群などの街並みが残る

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