英賀城

兵庫県姫路市飾磨区矢倉町にある英賀城

住宅街真ん中の公園・神社になっている。
車は不可の為、電車または駅のコインパーキングから徒歩。
大規模な平城で近代に入っても遺構が残っていたそうだが、昭和期の工事で大部分が消失した。
それでも英賀神社に土塁が残っているほか、英賀城跡公園や岡之口・野中口等に石碑がある。

永享年間、赤松祐尚がに築城したのが始まり。
祐尚没後、三木氏英賀城へ入り代々使用された。
三木氏は河野氏の出身。
河野通堯(通直)の五男通近が讃岐三木へ移り、のち播磨の恋之浜城へ移った。
のち近重・通重と続き、英賀城へ移ったのは三木通武の代という。
そのあとを通安・通規・通秀と続き、最も知られるのが次の三木通秋。
このころの英賀城は蓮如上人の高弟法専坊空善を迎えて英賀御坊も城内に設けられて栄えた。
天正五年より羽柴秀吉の播磨攻めが始まると三木通秋は敵対し、天正八年に英賀城は落城した。

三木氏は離散したが生き残っており、通秋は天正十年に許されて英賀へ復帰。
弟の通基・定通もそれぞれ生き延びている。
特に定通は窪山城(林田陣屋の場所)へ移り、建部長政が林田藩として入ると立ち退いたが大庄屋として続いている。

公園内部に櫓台っぽい箇所。
関係はあるかは判らず。

野中口之碑。
公園西側。

英賀城土塁。
神社背後。
上に石碑も建っている。

英賀神社
創建は古く、元慶五年には従五位下。
嘉吉三年には英賀天満神社と称し、
明治四年、八幡・春日合祀し英賀神社と改めた。

岡之口の碑
土塁東の十字路。

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