聖通寺、仙石秀久の墓

香川県綾歌郡宇多津町にある聖通寺

壺平山宝光院。
真言宗御室派別格本山。
本尊は薬師如来。

看板曰く由緒は情報量が多い。

当初は釈迦院と称し行基による開基。
弘仁年間、弘法大師が来訪し千手観音を刻み安置。
貞観十年、理源大師が寺を再興。この時、宝光院聖通寺と改めた。
寛平年間、宇多天皇が勅により仁王門などを建立し勅願寺となる。
文永年間、亀山天皇の勅により三重塔や伽藍が置かれる。
文和年間、勢宥僧正が寺に入る。後光厳天皇勅の再興もあるという。
貞治年間、細川頼之が本家の細川清氏との戦いの際、
頼之が勢宥僧正に薬師如来へ祈願し勝利を得たため、伽藍を再興。
天文年間、兵火で伽藍を焼失。
慶安三年、宥長上人が来訪し再興の為に留まり、松平頼重へ頼み承応元年に起工。伽藍が再興された。

本堂
承応二年に再建されたもの。薄くなっているが朱塗りの様だ。
本尊の薬師如来と共に指定文化財。
この薬師如来は貞観年間に海中から引き上げられたもので、沖如来とも称した。

観音堂
ここの木像千手観音立像は重要文化財指定。
平安期の作という。

大師堂
此処の釈迦如来座像が町指定文化財。
平安前期の作。

仙石秀久の墓
秀久の墓は信濃の小諸や大井にるが、所縁の讃岐にも墓がある。
羽柴秀吉に属して讃岐の大名へ登りつめたが、戸次川の敗戦で所領を没収された。
しかし小田原征伐で返り咲き、信濃小諸の大名になった。
墓碑に銘は無く良く判らなくなっているが、隣に由緒の石碑がある。

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