青森県三戸郡南部町小向正寿寺にある南部実光の墓など
三戸南部氏の菩提寺三光寺の西側、
聖寿寺館の北側辺りに 南部実光らの墓がある。
此処にあるのは南部実光・南部利康霊屋・八木橋藤十郎の墓。
利康霊屋は少し東にある聖寿寺館案内所が受付となっており拝観が可能。
なお、隣の三光寺には南部信直の墓と南部利直の霊屋があるそうだが、
寺域は立ち入り禁止との事、周辺案内看板からも切り抜かれているので注意。
南部実光の墓
南部氏二代。南部光行の次男。
南部氏が甲斐から陸奥へ移った時期は諸説あるものの、
実光が承久元年に陸奥糠部へ入ったという話もある。
実光は承久の乱で幕府軍に参加のほか、将軍上洛供奉等、御家人としても或る程度の地位を有していた。
建長六年没。
墓は塀で囲まれた墳墓。
南部利康霊屋
国指定重要文化財。
利康は南部利直の四男。
浅水城南直義の跡を継いでいたが、寛永八年に死去。十四歳。
父である利直は是を憐み霊屋を建立した。
霊屋は保存の為、建物の内部にある。
和・唐・天竺様式を組み込んだ建築で、壁画は狩野派。
八木橋藤十郎の墓
町指定文化財。
八木橋孫左衛門茂吉の子。諱は武茂。
南部利康が死去した翌月寛永八年十二月二十一日に巡視。
忠岳宗順禅定門。
墓石は二つあり、自然石が最初の墓石。
寛延四年に末弟の茂喬が新墓碑を建立した。
南部利直は殉死を賞し、遺族に対して加増した。