錦小路頼徳の墓、広沢真臣の墓

山口県山口市赤妻町にある錦小路頼徳・広沢真臣の墓
34.172341, 131.448416にある団地の片隅にある。

錦小路頼徳は幕末の公家、八月十八日の政変で七卿落し、以降は山口に居た。
下関砲台視察中に病で倒れ死去した。
山口にて毛利敬親が喪主として葬った。明治三年、三条実美ら七卿落関係者らが石碑を建てた。

広沢真臣は四境戦争のおり厳島大願寺で勝海舟と休戦講和を結んだ。新政府成立時には参議になるが明治四年に暗殺される。
広沢兵助の名前でも知られる。
墓は右が真臣、左は妻の墓

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