獅子ヶ鼻城

愛媛県西条市小松町大頭にある獅子ヶ鼻城。
33.877360, 133.072265の山にある。猪鼻城とも。
天福寺東の道を南に進んでいくと33.872969, 133.071682で折り返して北へ向かう道になる。城の側まで行けるので後は適当に登る。
曲輪は二段、南北に堀切が連なる。

城主は今井氏・宇野氏。
当初は今井三郎左衛門が在城した。

宇野氏は周布郡の国人。
河野分限禄では御足軽大将十五人の一人に宇野隼人正織弘が数えられている。

獅子ヶ鼻城は文明十一年に細川義春が伊予へ侵攻した際、宇野通平が在城していた。
細川義春軍に獅子ヶ鼻城を攻撃され、通平は細川方香西某へ夜襲を仕掛けたが失敗し、大熊城へ退いた話が残る。(温故禄・河野家譜・小松邑誌・二名集)

元亀三年、三好・織田連合軍襲来時には河野氏配下として、三好方に付いた石川氏の高尾城攻めに加わった。
天正十三年、宇野織弘の代の小早川隆景による天正の陣では郷土軍には加わらず、小早川方に属した。縁戚の来島氏からの誘いとも云う。しかし七月十六日に桑村衆の襲撃を受けて戦死。
別項に書いたが北麓の天福寺は宇野氏菩提寺で在り、道を挟んで東側の墓地に宇野隼人正織弘の墓がある。

道から見えている堀切部分

堀切二つ目

堀切三つ目

主郭

主郭北下段。

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