馬詰親貞の墓

高知県高知市洞ヶ島町の薫的神社内にある馬詰親貞の墓

馬詰親貞の墓は北西側、社殿背後にある霊光塔の右隣辺りにある。
墓碑は舟形だが、上半分が割れてしまっている。
落雷により折れた隣の木が直撃した為とも。

阿波保崎城主馬詰駿河守の三男。
通称を権右衛門。
槍術家であり宝蔵院流を修め、開祖である胤栄と二代・胤舜に師事。
慶長七年に山内一豊に仕えた。
承応三年十二月二十九日没。
名奉行馬詰観音は子孫と云う。

馬詰親貞墓の入り口。
進んでいくとある。

薫的神社

にらみ石
家老孕石頼母邸にあった石。
正徳四年、孕石頼母はこの石に緋衣の坊主が乗って睨み付けてくると言い、発狂して死亡した。

薫的様御昇天の御牢
薫的和尚が無実の罪で捕らえられた際に収監された牢屋。
幕末にも平井収二郎や間崎哲馬、弘瀬健太らが収監のち切腹。
昭和二十五年、獄舎の一部が此処へ移築されて現存。

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