隼人神社・田辺島城

高知県高知市大津にある隼人神社

南東麓に入り口と鳥居がある。
現在此処には隼人神社が建っており、かつては福留氏の城である田辺島城があった。
社殿が東にあり、西には大岩、北西側には平坦地二段あり、主郭らしき山頂側面には石垣も。

福留氏は長宗我部氏の家臣。福留飛騨守親政は長宗我部元親の信任も厚かった。
天正五年、親政が伊予で戦死。
跡を継いだ福留隼人佐儀重は天正十四年に戸次川の戦いで戦死した。

また、この場所は親政・儀重の墓でもあるとの事。
「土佐の墓」に詳しく、親政は大石を置き周囲に石垣を巡らせた墓だったと云う、のち儀重が追加で葬られる。
その後、両名を祀るために神社化し、隼人神社となった。

太平洋戦争中は出征の無事祈願が行われたと云う。

鳥居
大正の頃の建立

社殿

中澤楠彌太の墓
社殿西側には中澤氏の墓所が広がる。麓の看板でも説明あり。
万延二年(文久元年)生まれ。
明治十四年に自由民権運動に加わり板垣退助とも知遇。
明治二十年、三大事件建白運動に乗じて京へ上ったが、保安条例で京を追われた。
明治二十四年、県会議員に当選、企業の重役も勤め業界発展に尽力。
明治三十八年、衆議院議員。
明治三十九年十一月七日没。

大岩
上に石祠もある。

北西側の開けた平坦地。

頂部分側面の石垣。

山頂部分。
主郭か。

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