生野銀山

兵庫県朝来市生野町小野にある生野銀山

坑道および関連施設が現存しており、生野は鉱山の観光町になっている。
銀山前に広い駐車場や資料館有。
また、西の職員宿舎がある場所は代官所付近に観光用駐車場有。

銀山の開坑は大同二年とかなり古い。
時代がかなり空いて天文十一年、山名祐豊が銀山稼働させ、拠点に生野平城を築城。
永禄年間には太田垣能登守に守らせると云う。

山名氏が織田氏との戦いで生野を失った後、
天正六年に織田氏が管理し、次いで豊臣氏・徳川氏に移り代わるも、直轄地となり代官が置かれた。

明治元年、生野を掌握した新政府により、フランスからジャン・フランソワ・コアニエを招いて銀山の近代化を実現。
明治二十二年、生野銀山は皇室財産となり、御料局生野支庁が設置。
明治二十九年、三菱合資会社へ払い下げられ、三菱金属株式会社が受け継いだ。
昭和四十八年、閉山。以降は観光地として整備される。

朝倉盛明官邸門
明治期の生野銀山初代鉱山長。
平成三年に現地へ移築。
現在は生野書院として資料館になっている。

佐藤家住宅
江戸時代の郷屋・掛屋。

旧職員宿舎。
甲社宅とも。
明治四年の建築。
現在残っている五棟が整備され、甲七号社宅が志村喬記念館になっている。
俳優・志村喬はここの社宅出身という

坑道前駐車場
食事所や資料館もある

菊の門入り門柱
ジャン・フランソワ・コアニエが工場正門として築造。
明治五十二年に現地へ移設

銀山入口
生野代官所の門が再現

手堀の洞窟
江戸時代のものという。

奥には金山彦を祀る山神宮が置かれている

ローダー
鉱石のトロッコ運搬用

滝不動
織田・豊臣時代から安全・繁栄祈願の場所という

金香瀬代官番所跡

巨石

露天掘
慶寿𨫤
永禄十年に発見された鉱脈。

慶寿の堀切
採掘跡

下川戸坑
江戸時代坑道

辰巳坑
江戸時代

小日向坑
銀の質が高かったという

鉱脈と断層
年度断層。

大丸坑
金香瀬坑まで続く

大亀坑
江戸時代。
山師漆垣太郎兵衛が大きな亀が出てくると頃を発見。
掘り進んだところ坑道を見つけたという

荒木坑道
江戸時代

滝間歩旧坑
天文十一年頃の山名時代の坑道。

金香瀬坑道
観光用坑道になっている。
明治初期にジャン・フランソワ・コワニエによって整備

坑道内部

旧坑
坑道に横穴の様な箇所がある。
江戸時代のものという

狸堀
天井にある細長い窪み。
坑道を掘り進んだ跡という

竪穴
坑道の通気口

酒熟成庫
坑道は酒造りにも使用されている。
ここの酒は売店でも販売

ワイン用も

トロッコ

シュリンケージ採掘跡
ダイナマイト・削岩機を使っての採掘と云う。
木の杭が間につっかえ棒の様に置かれている。

ボーリング作業
岩盤に穴を空け調査し鉱石を探すと云う

太閤水
天正五年に羽柴秀吉が訪れた際に飲み、
茶をたてたと云う水

巻上場
機会は昭和四年製造

巻上場奥
上部分が奥に続いている。

エレベーター
鉱石搬出用

五枚合掌支柱
天盤・側壁の状態が悪く荷重の大きい箇所に掛けると云う

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