カテゴリー: 細川氏

九十九山城

香川県観音寺市室本町にある九十九山城

江甫草山にある。蓮光院から登山道が付いている。
寺の駐車場にも登山者駐車場の看板とルート案内板もあるので安心して登る事ができる。
登っていくと曲輪の東端に出ることができる。
城全体に石垣が所々に残っており、東端から隅石垣も残っている。
西に向けて階段状の曲輪群が続き、主郭域は周囲に一段曲輪取り巻く。
主郭から西へも堀切や曲輪があり、端は展望所になっている。

城主は細川氏政
天正六年、長宗我部氏の讃岐侵攻で攻められ落城したと云う。

登山口
杖や地図もある。

七宝山蓮光院羅漢寺
大同三年、弘法大師の創建。
真言宗。本尊は阿弥陀三尊。
延宝三年、快賢阿闍梨が羅金堂を建立。筑紫から五百羅漢を安置し寺号が羅漢寺になったと云う。
五百羅漢は市指定文化財。

山頂への分岐。
目印看板もある。

城域東端の隅石垣

東端に大穴

東曲輪群

虎口

所々に石垣が残る。

主郭東下段。

主郭
江甫草山一五三米の標柱もある。

主郭西端
若干低い。

主郭西下の土塁。

城域西端は断崖絶壁
ベンチもあって展望所になっている。

一夜庵、山崎宗鑑・細川氏政の墓

香川県観音寺市八幡町にある一夜庵など

興昌寺の境内にある。
一夜庵は山崎宗鑑が享録元年に結んだ草庵。
観音寺市指定文化財。
山崎宗鑑は室町時代の俳諧師。元は志那範重と称し足利義尚に仕えたが、義尚の市により名を改めて、明応年間に京の山崎に移った。
のち、親交のある東福時の梅谷という僧が興昌寺へ移った為、宗鑑は此処に移り住んだ。
草庵の名は一夜以上の宿泊を禁止したためという。

山崎宗鑑の墓
一夜庵の建立者。
寛正六年生まれ。天文二十二年十月二日没。
一夜庵の隣にある。
五輪塔で風化が激しいが、「宗鑑法師之塔」の石標柱が建っている。

細川氏政の墓
九十九山城主。
火輪がいくつも重なった五輪塔。一夜庵の向かいにある。
天正六年頃、土佐方の攻撃を受けて自害した。

塩津直方と一族墓所
丸亀藩観音寺町奉行という。
直方を探しきれず断念。上の土塀に囲まれた箇所は違うようだ。

細川頼貞の墓

香川県綾歌郡宇多津町大門にある細川頼貞の墓

34.304193, 133.826602にある。
三ツ岩という巨大な岩。
カーブの辺りの広場先にある巨石。
円通寺の説明看板によると、此処が頼貞の墓であるという。

細川頼貞は義阿とも称した。
二代・細川俊氏の子で、三代・公頼の弟。
奥州・肥後細川家初代。中先代の乱で自害。

細川頼之館、円通寺

香川県綾歌郡宇多津町田町にある細川頼之館。

円通寺のある場所にあったという。
34.305104, 133.827684
細川頼之は細川氏六代。
頼春の子で、従弟で宗家の清氏を討ち、頼春系が宗家に成り代わる。
幕府では管領を務め、康暦の政変での失脚等で知られる。

遺構らしきものは無いが、館地関係として館の石碑・頼之手植え松・細川氏供養塔がある。

円通寺は有弘法印が創建した寺院。
青松山観音院円通寺。
真言宗御室派。
本尊は如意輪観音
かつては大きな寺院だったそうだが兵火で焼失し、延宝三年に現地へ移転した。

円通寺の松跡
天然記念物で樹齢六百五十年、細川頼之手植えの松という。
跡となっているので枯死?

細川頼之館石碑

本堂
本尊の如意輪観音座像は宇多津町指定文化財。
南北朝期の作という

細川氏の供養塔
境内にある南北朝期の五輪塔。
各パーツは綺麗に残っており、宇多津町指定文化財になっている。

立善寺

香川県高松市香川町川東下にある立善寺

転輪山佛地院立善寺
真宗大谷派

細川頼之の讃岐の菩提寺
由緒は現地に石碑有り。

貞観年間、智証大師による創建。
釈迦尊像を安置して天台宗寺院とした

延文年間、細川頼之が岡城を築いた際、この寺が鬼門に当たるとして城の鎮守とした。
天文年間、本願寺證如により立善寺と改めた。
寛永十年、東本願寺宣如により真宗大谷派。
また、本堂は文化十一年のものという。

細川の九曜紋

細川頼之の墓
頼之の複数ある墓のうちの一つ。
地輪が小さめの五輪塔。
頼春の子で、従弟清氏を討ち宗家を継承。細川氏六代。

細川清氏の墓

香川県木田郡三木町下高岡にある細川清氏の墓

34.270837, 134.145193にある。
新田神社境内。道が二股になっている中央。
小さな神社であり、社殿背後に看板と清氏の墓である五輪塔がある。
周囲の駐車NG看板があるので、どこかから歩いてくる必要がある。

細川清氏は細川氏五代。
細川和氏の子。
清氏は南北朝時代に北朝方として戦うが、佐々木道誉の讒言で失脚。
南朝方に寝返り、白峰城(高屋城)へ入った。しかし、康安二年従弟の細川頼之と戦って戦死した。
遺骸は宝蔵院極楽寺の住職が引き取り、ここへ葬ったという。

新田神社。

聖通寺、仙石秀久の墓

香川県綾歌郡宇多津町にある聖通寺

壺平山宝光院。
真言宗御室派別格本山。
本尊は薬師如来。

看板曰く由緒は情報量が多い。

当初は釈迦院と称し行基による開基。
弘仁年間、弘法大師が来訪し千手観音を刻み安置。
貞観十年、理源大師が寺を再興。この時、宝光院聖通寺と改めた。
寛平年間、宇多天皇が勅により仁王門などを建立し勅願寺となる。
文永年間、亀山天皇の勅により三重塔や伽藍が置かれる。
文和年間、勢宥僧正が寺に入る。後光厳天皇勅の再興もあるという。
貞治年間、細川頼之が本家の細川清氏との戦いの際、
頼之が勢宥僧正に薬師如来へ祈願し勝利を得たため、伽藍を再興。
天文年間、兵火で伽藍を焼失。
慶安三年、宥長上人が来訪し再興の為に留まり、松平頼重へ頼み承応元年に起工。伽藍が再興された。

本堂
承応二年に再建されたもの。薄くなっているが朱塗りの様だ。
本尊の薬師如来と共に指定文化財。
この薬師如来は貞観年間に海中から引き上げられたもので、沖如来とも称した。

観音堂
ここの木像千手観音立像は重要文化財指定。
平安期の作という。

大師堂
此処の釈迦如来座像が町指定文化財。
平安前期の作。

仙石秀久の墓
秀久の墓は信濃の小諸や大井にるが、所縁の讃岐にも墓がある。
羽柴秀吉に属して讃岐の大名へ登りつめたが、戸次川の敗戦で所領を没収された。
しかし小田原征伐で返り咲き、信濃小諸の大名になった。
墓碑に銘は無く良く判らなくなっているが、隣に由緒の石碑がある。

天神山城(仁尾)

香川県三豊市仁尾町仁尾にある天神山城

山上には磯菜天満宮があり、
東麓の34.204936, 133.637485に登り口。鳥居が目印。
城跡遺構は無いとの事だが、現地に遺構石碑あり。
石垣や削平地がある。

城主は吉田佐兵衛兼近。
天正七年、九十九山城を破った長宗我部氏に攻撃され、
仁尾城に次いで落城した。

登り口。
天神山城石碑有。

城郭遺構の石碑。
側に石塁あり。

磯菜天満宮
かつては小島にあったといい、災害で海中に没した。
康和年間に再興され磯菜天満宮と称した。

石垣と平坦地
周囲に遊歩道があり奥へ行くと城らしさのある場所がある。

細川頼弘の墓

香川県三豊市仁尾町仁尾丁にある細川頼弘の墓

金光寺の境内入ってすぐ左にある。
覆屋付きの五輪塔。
地輪の下に更に四段あり、地輪一段下に「細川土・・」の銘。
頼弘は土佐守を称しており、元は細川土佐守と刻まれていたものか

細川頼弘は仁尾城主。
天正七年に長宗我部軍に攻撃され戦死した。

仁尾城

香川県三豊市仁尾町にある仁尾城

覚城院のある場所にあった。
手の入口に城の石碑がある。
寺は高台にあり石垣と塀固められており城の様な見た目になっている。

戦国時代には細川頼弘が城主。
天正七年、長宗我部氏の攻撃を受け、頼弘は籠城し戦ったが戦死した。
金光寺に頼弘の墓がある。

境内

鐘楼
梵鐘は旧仁尾町指定文化財。

大寧山覚城院
本尊の千手観音立像は県指定文化財。
平安時代末期の作という。

辻の札場
県指定史跡。
34.200839, 133.645619
普門院の側。